“あの日”からもう5年…
どうも、こんにちは(^o^)/
tyan_numaです。
そして、お久しぶりです。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか
僕は2月の初めに大病(インフルエンザ)やらかしました。
38℃の高熱があるものの、頭痛、倦怠感がなく、1週間めちゃくちゃ暇でした。(?:本題に入りましょ うp主さん)
気づけば2016年も もう3月ですか…
3月と言えば‘あの日’のことを毎年思い出しますね
“あの日”とは今から遡ること5年前の3月11日
あの 3.11 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)のことです。
もう5年…
ですか…
早いですね…
時の流れってのは…
5年前と言えば、僕は中学2年生でした
担当か担任の先生が出張で
確か 自習学習の時間でした。
5時間目だったと思います。(地震発生時刻:14時46分(午後2時46分)
最初は小さな揺れで、「な、なんだ?めまいか???」って思ったけんど
だんだん その揺れが大きくなってクラスメイトみんなして机の下に身を潜らせてました。(怖かったなぁ)
校内放送で避難するように指示され、校庭に避難しました。
校庭に植わっている木々は地震の影響なのか激しく揺れていて、校庭の地面には地割れが発生してました。
校庭には他学年、他クラスの生徒がほとんどいました。
他クラスでPCを使った授業をしていたらしく、その中の1人が「ここら辺は(さいたま市)は震度5強らしい」と言ってました(後に震度5弱とわかる)
学校⇔自宅の通学路の遊歩道は地面に敷いてあるレンガが波打っていたりした所があり地震の怖さを改めて思い知らされました
3.11 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生から今年で5年
被災地の東北地方は徐々にではあるが道路や施設、交通などのインフラ面の復旧は進んでいる。仮設住宅に住む約10万人の被災者の方々への災害公営住宅の建設も徐々にではあるが進んでいます。
フクシマに目を向けてみれば、原発(原子力発電所)の廃炉へ向けた作業が始まり、汚染された土を剥ぎ取ったり、地面を舗装したりの色々な対策によって一般的な作業服でできるようになったりと東京電力さんは頑張っています
今年でこの5年と言う節目の年をむかえ、僕達 日本人、いや 人間は防災意識が高まったのではなかろうか、僕はそう思います。
実際、僕は大地震があった時、どこに避難すれば良いのか、家族や親戚への連絡手段(回線がパンクし、繋がりにくくなった場合などを想定して)、避難する際に必要な食料や日用雑貨などを色々なことを考えたり、調べたりする様になりました。
皆さんはどうでしょうか
もし‘あのような大地震’が起こったら、どのように行動したら良いのかなどをこの節目の5年に考えてみてはどうでしょうか。
今年も僕は大震災発生時刻の14時46分(午後2時46分)に津波などの犠牲になった方々への黙祷をします
3.11 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって被害に遭われた方々へ心よりお見舞い申し上げます。
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小田和正 生まれ来る子供たちのために
今回のブログはこの歌をBGMしてご覧下さい